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大阪地方裁判所 平成7年(ワ)2724号 判決

原告

奥秋明代

右訴訟代理人弁護士

飯田俊二

被告

米田實

右訴訟代理人弁護士

山脇衛

被告

澤岡剛

右訴訟代理人弁護士

阿部清司

主文

一  被告らは、原告に対して、連帯して、金七五四四万八一九八円及びこれに対する昭和五八年一〇月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを三分し、その二を原告の負担とし、その余を被告らの負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

被告らは、原告に対し、連帯して、金二億二〇〇〇万円及びこれに対する昭和五八年一〇月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、信号機による交通整理の行われていない交差点における普通乗用自動車同士の衝突事故において、一方の自動車の同乗車が両自動車の運転者兼保有者に対し、自賠法三条に基づき損害賠償を求めた事案である。

一  争いのない事実及び証拠上明らかに認定できる事実(証拠によって認定する場合は証拠を摘示する。)

1  本件事故の発生

(一) 日時 昭和五八年一〇月二〇日午後八時三五分ごろ

(二) 場所 奈良県吉野郡大淀町大字桧垣本二二〇八番地

(三) 事故車両 被告米田實(以下「被告米田」という。)運転の普通乗用自動車(奈良五六た二三九、以下「米田車」という。)と被告澤岡剛(以下「被告澤岡」という。)運転、原告同乗の普通乗用自動車(泉五七つ一五八六、以下「澤岡車」という。)

(四) 事故態様 赤色点滅・黄色点滅の信号機のあるT字型交差点において、黄色点滅の信号に従い進行した澤岡車と赤色信号に従い進行した米田車が出会い頭に衝突し、澤岡車の助手席に同乗していた原告が顔面挫傷、下腿打撲挫創、脳挫傷等の傷害を負った。

2  被告らの責任

被告らはそれぞれ米田車、澤岡車の所有者であるから、自賠法三条に基づき原告に生じた損害を賠償する責任を負う。

3  原告の治療経過及び後遺障害

原告は本件事故後、以下のとおり入通院を繰り返した。

(一) 原告の入院経過

(1) 昭和五八年一〇月二〇日から同月二八日まで恵愛橿原病院(以下「橿原病院」という。)に九日間入院(甲二の1)

(2) 同月二八日から同年一一月一八日まで町立大淀病院(以下「大淀病院」という。)に二二日間入院(甲三の1、丙三、四)

(3) 同年一一月二八日に橿原病院に一日間入院(甲二の2)

(4) 同年一二月一二日から昭和五九年二月一日まで奈良県立医科大学附属病院(以下「県立病院」という。)に三二日間入院(甲四の2、一一、一二、一三)

(5) 同年六月一三日に同年七月六日まで橿原病院に二四日間入院(甲二の3)

(6) 同年一〇月二一日から同月二二日まで県立病院に二日間入院(甲四の3、一四)

(7) 昭和六〇年四月三〇日から同年六月二四日まで県立病院に五六日間入院(甲四の4、一五)

(8) 同年一〇月八日から同月二二日まで県立病院に一五日間入院(甲四の5、一六)

(9) 昭和六一年一月一三日から同年三月一三日まで県立病院に六〇日間入院(甲四の6、一七)

(10) 同年六月二日から同年七月二四日まで県立病院に五三日間入院(甲四の7、一八)

(11) 同年八月二二日から昭和六二年一一月一二日まで県立病院に四四八日間入院(甲四の8、9、10、11、一九)

(12) 平成元年一一月二〇日から同年一二月一〇日まで県立病院に二一日間入院(甲四の19、20、二一、二二)

(13) 同年七月五日から同月一五日まで県立病院に一一日間入院(甲四の21、22、二六、二七)

(14) 平成三年一一月一二日から同年一二月一二日まで県立病院に三一日間入院(甲四の27、二八)

(15) 平成四年一月三一日から同年三月一〇日まで県立病院に四〇日間入院(甲四の26、二九)

(16) 同年四月八日から同年五月一二日まで県立病院に三五日間入院(甲四の28、三〇)

(17) 同年六月五日から同月一六日まで県立病院に一二日間入院(甲四の30、三一)

(18) 同年九月三〇日から同年一〇月二日まで八尾市立病院(以下「八尾病院」という。)に三日間入院(甲五の5)

(19) 平成五年八月四日から同年一一月二〇日まで県立病院に一〇九日間入院(甲四の31、三二)

以上により、証拠上認定できる原告の入院日数は九八三日間である(昭和五八年一〇月二八日については、橿原病院と大淀病院の入院が重なっているので一日と数えた。また、原告は平成二年六月一五日から同月一九日まで県立病院に入院したと主張するが、証拠(甲二三、二四、二五)によれば、この入院は本件事故と無関係の出産を主たる目的とする入院と認められるので、右期間の入院は除外した。なお、原告が主張する昭和六〇年一〇月一日の橿原病院の入院は証拠がない。)。

(二) 原告の通院経過

(1) 昭和五八年一一月一九日から平成三年六月三〇日まで大淀病院に通院(実日数四九日間、甲三の1ないし8)

(2) 昭和五八年一二月五日から平成六年六月二〇日まで県立病院に通院(実日数六九二日間、甲四の1、12ないし18、20、21、23ないし26、29、32)

(3) 平成三年四月二四日から平成四年一〇月二六日まで八尾病院に通院(実日数二五二日間、甲五の1ないし4、6ないし8)

(三) 原告の後遺障害

原告は、平成六年六月二〇日、神経障害、醜状障害等を残存したまま症状固定し(甲六ないし一〇)、自賠責保険会社により自賠法施行令二条別表第七級四号及び第七級一二号による併合五級(以下級と号のみを示す。)に該当すると認定された。

4  症状固定前治療費

原告は右症状固定日までに、本件事故による治療費として一六六八万五二四五円を要した。

5  調停の成立

原告及び被告ら間において、平成元年五月二二日、吉野簡易裁判所平成元年(交)第一号事件の調停(以下「本件調停」という。)が成立し、そこで、原告は被告らに対し、本件事故による治療費等については保険金を充て、それ以外の金銭的要求はしない旨合意した。

6  損害のてん補等

原告は、被告米田の自賠責保険より一二九九万円、同被告の任意保険より九九九八万九一三五円の支払いを受け、被告澤岡の自賠責保険より一二九九万円、同被告の任意保険より二〇三四万二二七三円の損害のてん補を受けた(合計額一億四六三一万一四〇八円)。

なお、原告は、被告米田から二八一万〇三七六円、被告澤岡から一五三万〇九二〇円の支払いを受けた。

二  争点

1  好意同乗減額

(被告澤岡の主張)

原告は、本件事故時澤岡車に無償で同乗していたのであるから、好意同乗減額をするべきである。

2  調停の有効性

(原告の主張)

原告は、調停成立当時、髄液鼻漏の症状がみられていたが、担当医より髄液鼻漏は完治することも十分あり得るとの説明を受け髄液鼻漏は完治すると信じ、それを前提に本件調停による合意をしたが、その後髄液鼻漏が止まらない等予想外に症状が悪化したのであるから、本件調停による合意はその前提事実に誤信があり錯誤により無効である。

(被告米田の主張)

原告は、本件調停成立当時すでに髄液鼻漏は生じており、その後症状が悪化することも予想していたはずだから、本件調停による合意は有効である。

3  損害額

(原告の主張)

(一) 症状固定後治療費

一五七八万七七〇九円

原告は、症状固定後も髄液鼻漏等の症状が完治せず、鼻洗浄等の治療を継続しなければ感染症等により生命の危険があるので、生涯にわたりその治療を継続する必要があるが、原告は症状固定時三〇歳の女子であるから、その平均余命の五三年間にわたり治療を続ける蓋然性がある。

そして、原告は、症状固定時後の平成六年六月二四日から同年一二月三一日までの約六か月間県立病院に通院して治療費九万四二五〇円を要し、平成六年六月二五日から同年一二月二九日までの約六か月間八尾市民病院に通院して治療費一四万二〇五五円を要した。

よって、原告が五三年間にわたり右各病院の治療を受け続けるとして、その治療費をホフマン方式により五三年間の中間利息を控除し算定すると、次のとおりとなる。

9万4250円÷6×12×25.5354+21万4885円÷6×12×25.5353=1578万7709円

(二) 入院雑費

一一四万〇七〇〇円

一日当たり一一〇〇円として、一〇三七日分

(三) 入院付添費

三六二万九五〇〇円

一日当たり三五〇〇円として、一〇三七日分

(四) 症状固定前通院交通費

四二四二万一九六二円

原告は髄液鼻漏等の症状のため、感染症の予防、けいれん発作時の適切な処置をはかる必要性があり、そのために通院にタクシーを利用せざるを得ず、その費用として症状固定までに右額を要した。

(五) 症状固定後通院交通費

二億八六三九万五四四七円

原告は、前記のとおり症状固定後五三年間にわたり治療を継続する必要があり、症状固定後も髄液鼻漏、頭蓋骨欠損等の症状が残存しているから、通院のためタクシーを利用する必要があるところ、原告は症状固定日の前後の期間である平成六年五月一日から同年一二月三日までの約八か月間に、奈良近鉄タクシーに対しタクシー代三〇九万五〇〇〇円を支払い、一か月当たり約三八万六八七六円のタクシー代を要し、平成六年六月一日から同年一二月三一日までの約七か月間に、吉野口タクシーに対しタクシー代三八三万四三五〇円を支払い、一か月当たり五四万七七六四円のタクシー代を要した。

すると、原告は症状固定前後の期間、一月当たり九三万四六三九円のタクシー代を要したことになるが、五三年間のタクシー代を、ホフマン方式により中間利息を控除し算定すると、次のとおりとなる。

93万4639円×12×25.5353=2億8639万5447円

(六) 休業損害

四三三七万三八一二円

原告は、本件事故当時年収四〇六万五六〇〇円を得ていたところ、本件事故により、症状固定時まで一〇年と二四四日の治療を要したので、休業損害は次のとおりとなる。

406万5600円×(10+244÷365)=4337万3812円

(七) 家政婦代

八三五万七四八六円

原告は、本件事故による傷害のため、家事が一切できなかったので、家政婦を雇い、症状固定時まで右額を要した。

(八) 逸失利益

一億〇八五二万八四九七円

原告は、本件事故により髄液鼻漏、頭蓋骨欠損等の症状が残存し、そのためにけいれん発作、意識消失が何度も出現するようになり、脳圧は非常に変化しやすくなり、感染症等による生命の危険にさらされるようになったのであるから、家事及び労働は一切不可能であり、労働能力を一〇〇パーセント喪失したところ、原告は、平成六年六月から同年一二月まで一か月当たり三五万四一七八円の家政婦代を要したが、前記のとおり原告の余命は五三年間であり、原告はその五三年間にわたり家政婦を雇い続けなくてはならないから、五三年間の家政婦代を、ホフマン方式により中間利息を控除して算定すると、次のとおりとなる。

35万4178円×12×25.5353=1億0852万8497円

(九) 入通院慰藉料

一〇〇〇万円

(一〇) 後遺障害慰藉料

二〇〇〇万円

(一一) かつら代

四〇万五〇〇〇円

以上(一)から(一一)までの合計額は五億五六七二万五三五八円となり、これから、被告らの自賠責保険及び任意保険から支払われた一億四六三一万一四〇八円を控除すると、四億一〇四一万三九五〇円となるところ、その内金二億円と弁護士費用二〇〇〇万円をあわせた二億二〇〇〇万円及びこれに対する不法行為時である昭和五八年一〇月二〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(被告らの主張)

(一) 症状固定後通院交通費について

原告は、症状固定後生涯にわたり遠方の県立病院、八尾病院へ通院することを前提にその交通費を請求するが、最寄りの病院へ通院する等すべきである。

また、原告はこれらの通院につきタクシー代を請求するが、電車、バス等の利用で十分である。

さらに、原告請求のタクシー代の中には通院以外に使用されたものも含まれているうえ、通院の際のタクシーの利用方法も、行きに利用したタクシーを病院に待たせて帰りもそのタクシーを利用するというものであるため、通常よりも料金が高額である。

よって、原告の症状固定後通院交通費の請求は不当である。

(二) 逸失利益について

原告は、労働能力の一〇〇パーセントを喪失したと主張するが、自賠責の認定は五級なのであるから、労働能力喪失率は七九パーセントというべきである。

(被告澤岡の主張)

(一) 症状固定後の治療費について

将来にわたり自由診療によるというのは不当である。また、原告が平均余命まで生存できるか疑問である。

(二) 慰藉料について

原告の主張する入通院慰藉料及び後遺障害慰藉料は高すぎる。

4  弁済

(被告米田の主張)

被告米田が原告に支払った二八一万〇三七六円は、損害賠償債務の弁済として支払ったものである。

(被告澤岡の主張)

被告澤岡が原告に支払った一五三万〇九二〇円は、損害賠償債務の弁済として支払ったものである。

また、被告澤岡は、右支払いのほか原告に一三〇〇万円を支払っている。

(原告の主張)

被告米田の支払った二八一万〇九二〇円及び被告澤岡の支払った一五三万〇九二〇円は、見舞金として支払われたもので損害賠償債務の弁済ではない。

また、被告澤岡が支払ったという一三〇〇万円は、原告は受領していない。

第三  争点に対する判断

一  好意同乗減額

本件事故態様は前記のとおりであるが、証拠(原告、被告澤岡)によれば、被告澤岡と原告は本件事故の一年ほど前に知り合い、本件事故当時は恋人同士であったこと及び本件事故は、被告澤岡が原告の自宅に遊びに来ていたところ、原告の母親から勤務先に届け物をしてほしい旨連絡があり、そのため被告澤岡が好意で原告を助手席に同乗させ、原告の母親の勤務先に行く途中に生じたことが認められるものの、特に原告に本件事故の発生について帰責事由があったとは認められないから、好意同乗減額は認められない。

二  本件調停の有効性

1  証拠(甲一一ないし三三、四四、乙一、四の1ないし3、五の1ないし4、証人森本哲也、原告、被告米田、被告澤岡)によれば、次の事実が認められる。

原告の入通院経過は前記のとおりであるが、原告は、本件事故後、昭和五八年一一月一五日ごろから鼻根部左側附近からの排膿がみられだしたので、県立病院耳鼻咽喉科を受診し、抗生剤投薬等を受けたものの軽快せず、同年一二月二二日同科にて鼻根部左側切開による排膿手術を受けたが、その手術中、頭蓋底骨折、髄液鼻漏が判明したため同病院脳神経外科も受診することになった。

同科では、硬膜の鼻漏の生じている部位を発見し外科的治療を施すという方針が立てられ、昭和六〇年五月二二日に硬膜外アプローチによる髄液鼻漏修復術、昭和六一年二月五日に経蝶形骨洞アプローチによる髄液鼻漏修復手術、同年六月一三日には髄液漏修復術、V-Pシャント術、前頭洞ドレナージ術、同年九月二四日、同年一〇月一七日、同年一二月二四日、昭和六二年二月九日及び同年三月二〇日にキリアン法に準ずる排膿手術、同年三月一三日、同月二〇日、同年五月一日及び同月二〇日とくV-Pシャント再建術と手術を繰り返したが、髄液鼻漏は改善せず、同年六月三日には硬膜外死腔の感染症が生じたため、前頭骨除去が行われ、同月一五日にはシャントに感染症が生じたため、シャント抜去が行われた。

この間、同科の担当医である森本哲也(以下「森本医師」という。)は原告に対し、髄液鼻漏は難治性すなわち完治することが難しい症状ではあるが、髄液鼻漏の生じている孔さえ見つけられれば完治する可能性がある旨説明し、原告も髄液鼻漏が完治することを信じて度重なる入院、幾度にもわたる手術に耐えてきた。

ところで、原告は被告澤岡と本件事故当時恋人関係にあったが、本件事故後半年位すると関係がとぎれてしまい、一時期暴力団関係者である南岡登(以下「南岡」という。)と交際していたが、南岡に暴力を振るわれるなどしたため、南岡から逃げだして被告澤岡にかくまってもらい、再び被告澤岡との関係を復活させたが、昭和六一年九月ごろ、南岡が被告澤岡を呼びだして自分の女を取ったなどと因縁をつけ、脅かすなどしたため、被告澤岡は弁護士とも相談の上、同年九月一〇日、南岡と六〇〇万円を支払う内容の契約をし、同日南岡に同額を支払い、また、同年一〇月二四日には、原告の代理人を名乗る暴力団関係者の池上譲二(以下「池上」という。)との間で、原告との関係を解消するためとの名目で、七〇〇万円を支払う旨の契約をし、同月二四日同額を右池上に支払った。

被告澤岡は、右のようなことがあって以来、原告に連絡を一切しなくなってしまい、原告の入院中見舞いにも行かなくなってしまった。一方、被告米田は、原告の入院中見舞いに行き、手術の度に五万円程度を医師への謝礼名目で原告に渡していた。そこで、原告は、被告澤岡にも右医師への謝礼を負担してもらおうと思い、被告米田や保険会社担当員とも相談の上、平成元年、吉野簡易裁判所に本件調停を申し立て被告澤岡を呼び出すこととし、本件調停には利害関係人として被告米田も参加することになった。

本件調停期日は、原告、被告澤岡及び被告米田が出頭のうえ平成元年五月二二日に開かれたが、調停委員が原告及び被告らからそれぞれ話を聞いたうえ調停案を示し、原告及び被告らはそれを受け入れ本件調停は成立した。その内容は、①被告澤岡は八万三〇〇〇円、被告米田は一六万七〇〇〇円を支払うこと、②被告らは原告の保険金支払請求及び原告の今後の治療等については誠意をもって対処すること、③原告は被告らに対し、本件事故による治療費等については保険金を充て、それ以外の金銭的要求はしないこと、④ただし、原告が手術などのため医師への謝礼金を支出するときは、被告らは原告と協議して決めた金額を支払うこと等であった。

ところで、本件調停成立当時、原告はもとより被告らも、原告の髄液鼻漏は将来完治するであろうと考えていた。

その後、原告は、髄液鼻漏の根本的治療のため、平成三年一一月一三日、硬膜を切開し硬膜内から髄液鼻漏の生じている孔を捜し当て、その部位に対して筋膜をつめ、人工骨による頭蓋骨を形成するという手術を受けたが、それにもかかわらず髄液鼻漏は止まらなかった。

ここにいたり、同科の医師らは、これ以上手術治療を続けても原告の髄液鼻漏は完治することは難しいと判断し、平成四年五月一二日、原告及び被告ら等に、これ以上手術を続けても髄液鼻漏を止めることは難しく、かえって視神経を損傷し失明したり、脳を損傷し四肢麻痺の障害を生じたりするおそれがあるので、髄液鼻漏に対しては、今後一生保存的対症療法を続け髄膜炎等の感染防止をしていくしかない旨を説明した。

なお、平成四年四月一三日には、人工骨による骨形成部に拒絶反応が生じたので、人工骨が除去されて原告の前頭部の頭蓋骨が欠損してしまい、現在は、頭蓋骨の形成も見込が立たない状況であり、そのうえ、使用できる抗生物質が制限され、肝機能も低下し、頻繁にけいれん発作がみられるようになる等、原告の症状は悪化し続けている。

2  以上によれば、原告は、本件事故後髄液鼻漏が発症してから本件調停成立当時まで幾度にもわたる手術を繰返したが、髄液鼻漏は改善せず、森本医師も原告に対し、髄液鼻漏が難治性であることを説明していたことは認められるが、森本医師は、本件調停成立前までは、原告に対し、髄液鼻漏が完治する可能性があるとも説明していたため、原告は本件調停成立時には今後の治療により原告の髄液鼻漏は完治するであろうと信じており、それは被告らも同様であったのであり、前記認定のように、本件調停成立後に髄液鼻漏が生涯完治せず、一生治療を継続しなければならなくなり、また頭蓋骨の形成ができず、使用できる抗生物質が制限され、肝機能も低下し、頻繁にけいれん発作が生じるようになるまで症状が悪化し、そのため損害が著しく拡大するとは、本件調停成立当時には原告も被告らも予想していなかったと認められる。

したがって、原告及び被告らの間の本件調停による合意は、原告の髄液鼻漏が将来完治することが前提となって合意されたものと認められるところ、前記のとおり、原告の髄液鼻漏は将来において完治するとはいえないものであったのであるから、原告及び被告らには、本件調停による合意を行うにつき、その前提事実に重大な誤信があったといえる。

よって、原告及び被告らの間の本件調停による合意は、錯誤により無効と認められる。

三  損害額

(一)  症状固定前治療費

一六六八万五二四五円

当事者間に争いがない。

(二)  症状固定後治療費

四九九万五二一六円

原告は、前記のとおり、平成六年六月二〇日、神経障害、醜状障害等を残し症状固定したのであるが、証拠(甲六、四二の1、四三の6、11、16、19、証人森本哲也、原告)によれば、原告は、昭和三九年五月七日生まれの女子で、本件事故時は一九歳、症状固定時は三〇歳であったが、症状固定後も髄液鼻漏が続き、それに伴い、けいれん発作、意識消失などが出現するため、鼻洗浄、抗けいれん剤の投与等の治療を生涯継続する必要性が認められる。

そして、その継続期間については、原告主張のとおり五三年間と認める。

この点につき、被告澤岡は、原告が平均余命まで生存するかは疑問であると主張する。

確かに、原告は、髄膜炎等の感染症に罹患すれば生命への危険が生じるし、前記のとおり、症状が現在も悪化していることは認められるものの、鼻洗浄等の治療を継続すれば感染症は防止しうるし、症状が悪化しているとしても原告の余命が短縮するとまでは認められないから、右主張は理由がない。

ところで、原告は、症状固定後の六か月間に、県立病院には九万四二五〇円、八尾病院には二一万四八八五円の治療費を要したと主張するが、証拠(甲四三の7、12、四六)によれば、原告が右治療費を支出したことは認められるものの、その大半は自由診療にかかる治療費であるところ、原告が将来にわたり自由診療を受け続けるかについては、被告澤岡も主張するとおり疑問があるから、右額を基準に原告の将来にわたる治療費を算定することは相当でない。

そこで、原告の将来にわたる治療費は、健康保険診療にかかる治療費を基準にして算定すべきところ、証拠(甲四二の2、10、14、17、四三の20)によれば、原告は、症状固定後の平成六年七月から平成七年七月までの約一年間に、県立病院において健康保険診療にかかる治療を受け、その治療費として一一万五八四〇円を支出したこと及び平成七年一月三一日から同年七月三一日までの六か月間に、八尾病院において健康保険診療にかかる治療を受け、その治療費として六万九〇〇〇円を支出したことが認められる。

そして、右額を基準にすると、原告は、県立病院の治療費は一年間に約一一万円要することになり、八尾病院の治療費は六か月間に六万九〇〇〇円を要するのであるから、一年間に合計一三万八〇〇〇円の治療費を要することになる。

よって、原告は、将来にわたり一年間一一万円と一三万八〇〇〇円の合計額の二四万八〇〇〇円の治療費を要することを前提に原告の将来の治療費を算定することにする。

以上により、症状固定後原告が治療を必要とする五三年間の中間利息と本件事故時から症状固定時までの一〇年間の中間利息をホフマン方式により控除して、原告の症状固定後の治療費の本件事故時における現価を算定すると、次のとおり四九九万五二一六円となる。

24万8000円×(28.087−7.945)=499万5216円

(三)  入院雑費

一〇八万一三〇〇円

前記のとおり、証拠上認められる原告の入院日数は九八三日間であるところ、一日当たりの入院雑費は原告主張のとおり一一〇〇円が相当と認められるから、入院雑費は一〇八万一三〇〇円となる。

(四)  入院付添費

一一万九〇〇〇円

証拠(甲二の1ないし3)によれば、原告の入院期間のうち付き添いを要したのは三四日間であるので、原告主張の一日当たり三五〇〇円の入院付添費を三四日分認める。

(五)  症状固定前通院交通費

二五四五万三一七七円

証拠(甲四八、乙二の1の①、3の①、5の①、8、丙一)によれば、原告は症状固定前に原告主張のとおりタクシー代四二四二万一九六二円を支出したことが認められる。

また、証拠(前掲各証拠、甲四五、証人森本哲也、原告)によれば、原告は、症状固定前、感染症の予防、けいれん発作が生じた場合の対処の必要性等により、通院等にタクシーを利用し、被告らの加入する保険会社も原告のタクシー利用を容認し、右タクシー代を全額支払っていることが認められる。

しかし、一方、証拠(丙六、七、原告)によれば、右タクシー代のうちには、通院以外の分も一部含まれており、通院にタクシーを利用する際も、特定の運転手を指名し、行きに利用したタクシーを帰りまで病院に待たせてそれを帰りに利用するというものであるため、料金が通常よりも高額になっている場合が多いこと等の事実も認められる。

以上の各事実を総合考慮すれば、原告が通院にタクシーを利用する必要性は認められるものの、右タクシー代の全額を加害者に負担させることは損害の公平な分担という見地から相当でない。

以上により、右タクシー代の六割の二五四五万三一七七円(円未満切捨)を本件事故と相当因果関係にある損害と認める。

(六)  症状固定後通院交通費

六七七七万一六二六円

証拠(甲四七、四八)によれば、原告は、症状固定前後の期間、原告主張のとおり、一か月当たりタクシー代九三万四六三九円を支出したことが認められる。

また、証拠(甲六、四二の1、四三の6、11、16、19、四五、証人森本哲也、原告)によれば、原告には、症状固定後も髄液鼻漏が続くため、県立病院、八尾病院に通院して鼻洗浄などの治療を継続する必要性があり、特に鼻洗浄については、失敗をすると髄膜炎等の感染症により生命への危険を生じかねないことから、少なくとも当面は、症状固定前から原告を治療していた県立病院及び八尾病院へ通院することは、たとえそれが遠方の病院であっても、やむを得ないと認められる。

また、前記のとおり、症状固定後も髄液鼻漏が続いているのだから、症状固定前と同様、通院にタクシーを利用する必要性も認められる。

しかし、現時点で、県立病院や八尾病院で治療を受ける必要性が認められるとしても、症状固定時から五三年間にもわたり遠方の右各病院に通院する必要性があるかは疑問であるし、前記の症状固定前の原告タクシーの利用状況からして、症状固定後の右タクシー代の中にも通院以外に使用した分が含まれている可能性も否定できず、通院の際のタクシーの利用形態も症状固定前と同様であったとうかがわれること等一切の事情を考慮し、原告の主張する一か月当たり九三万四六三九円のタクシー代の三割の二八万〇三九一円(円未満切捨)を基準として、症状固定後五三年間の通院交通費を算定することにする。

以上により、症状固定後五三年間の中間利息と本件事故時から症状固定時までの一〇年間の中間利息を控除して、原告の症状固定後交通費の本件事故時における現価を算定すると、次のとおり六七七五万三七九三円となる。

28万0391円×12×(28.087−7.945)=6777万1626円(円未満切捨)

(七)  休業損害

一五七四万二四二八円

前記のとおり、原告は本件事故時一九歳であるが、本件事故時の収入につき、昼間はチキンショップ上岡、夜は喫茶スナックジョイに勤務し、両方の収入を合わせると、本件事故前三か月間の平均給与額は三三万八八〇〇円であるから、年収は四〇六万五六〇〇円であったと主張し、それに沿う内容の証拠(甲五九、六〇)を提出するけれども、他の証拠(甲六一、原告、被告澤岡)に照らし、右各証拠は、にわかに信用できない。

そこで、昭和五八年の賃金センサス第一巻第一表産業計・企業規模計・学歴計・女子労働者一八歳から一九歳の平均賃金である年収一四七万五六〇〇円を基礎として休業損害を算定することにする。

すると、本件事故から症状固定時までの期間は、原告主張のとおり一〇年と二四四日であるから、休業損害は次のとおり一五七四万二四二八円となる。

147万5600円×10+147万5600円÷365×244=1574万2428円(円未満切捨)

(八)  家政婦代 否定

前記認定の原告の治療経過等に照らし、原告は症状固定時まで家事ができなかったことは認められるが、右のとおり休業損害が認められているのであるから、別に家政婦代は認められない。

(九)  逸失利益

五八〇〇万六六一四円

前記のとおり、原告は、自賠責保険会社から、七級四号(神経系統の機能又は精神に障害を残し、軽易な労務以外に服することができないもの)、七級一二号(女子の外貌に著しい醜状を残すもの)に該当するとの認定を受けていることは当事者間に争いがない。

また、証拠(甲六、証人森本哲也、原告)によれば、原告は、髄液鼻漏が生涯続き、感染症による生命の危険に常にさらされているうえ、前頭部の一六センチメートル×一〇センチメートルという広い範囲に頭蓋骨の欠損があり、頭蓋骨形成も不可能であり、その頭蓋骨欠損のため、脳が大気圧の影響を受けやすくなっており、気圧変化、高度変化等により脳機能に悪影響を及ぼす危険があると認められ、以上の原告の症状に照らせば、原告は、生涯にわたり日常生活上の行動が相当程度制限され、終身労務に服することができないと認められる。

よって、原告の右症状は三級の後遺障害に相当し、原告は労働能力を一〇〇パーセント喪失したと認める。

ところで、原告は、症状固定後の約六か月間に要した家政婦代が平均余命の五三年間にわたり必要であるとして、それを前提として逸失利益を算定し請求しているが、家事労働を逸失利益として評価する場合、女子の平均賃金によるのが相当であり、かつ、それが認められる期間は就労可能上限年齢の六七歳までというべきである。

以上により、平成六年賃金センサス第一巻第一表産業計・企業規模計・学歴計・女子労働者三〇歳から三四歳までの平均賃金である年収三六五万一二〇〇円を基礎とし、三〇歳から六七歳までの三七年間の中間利息と本件事故時から症状固定時までの一〇年間の中間利息をホフマン方式により控除して、原告の逸失利益の本件事故時における現価を算定すると、次のとおり五八〇〇万六六一四円となる。

365万1200円×(23.832−7.945)=5800万6614円(円未満切捨)

(一〇)  入通院慰藉料 六〇〇万円

前記のとおり、原告が症状固定まで一〇年間以上にわたり入通院と手術を繰り返したこと、一方、後記のとおり、被告らが誠実に原告に対し相当額の見舞金を支払ったこと等一切の事情を考慮すれば、入通院慰藉料は、六〇〇万円が相当である。

(一一)  後遺障害慰藉料

二〇〇〇万円

原告の前記後遺障害の内容等に照らし、後遺障害慰藉料は原告主張のとおり二〇〇〇万円が相当と認める。

(一二)  かつら代

四〇万五〇〇〇円

証拠(丙一、原告)によれば、原告は、頭部の手術のため髪の毛を失い、かつら代四〇万五〇〇〇円を要したと認められるので、同額の本件事故による損害と認める。

(一三)  損害のてん補

前記のとおり、原告が被告らの加入する自賠責保険及び任意保険から合計一億四六三一万一四〇八円の損害のてん補を受けたこと及び原告が被告米田から二八一万〇三七六円、被告澤岡から一五三万〇九二〇円の支払いを受けたことは当事者間に争いがない。

そして、証拠(乙一、被告米田)によれば、被告米田の支払った二八一万〇三七六円は、医師への謝礼、原告の眼鏡代金、原告の母親が見舞いに来るためのタクシー代等として支払われたものであり、被告米田自身も自らの誠意を示すための見舞金として支払っているという認識であったと認められるから、損害賠償の弁済とは認められない。

また、証拠(乙一、被告澤岡)によれば、被告澤岡の支払った一五三万〇九二〇円も、医師への謝礼として支払われたものであり、被告澤岡自身も原告が少しでも医師によく治療してもらおうという気持ちで支払っていたと認められるから、損害賠償の弁済とは認められない。

しかし、被告らが、右のとおり、誠実に見舞金を支払ったという事実は、前記のとおり、入通院慰藉料の算定において被告らに有利に考慮する。

また、前記二1で認定したとおり、被告澤岡は、南岡に六〇〇万円、池上に七〇〇万円の合計一三〇〇万円を支払ったことは認められるが、証拠(乙四の1、五の1、原告、被告澤岡)によれば、これらの金員は、被告澤岡と原告、南岡との関係の清算金という名目で支払われているうえ、原告には渡されていないと認められるので、これも損害賠償の弁済とは認められない。

以上により、前記(一)から(三)までの合計額である二億一六二五万九六〇六円から、一億四六三一万一四〇八円のみを控除すると、六九九四万八一八九円となる。

(一四)  弁護士費用  五五〇万円

本件事案の内容及び認容額等に照らし、弁護士費用は、五五〇万円が相当である。

第四  結語

以上により、原告の請求は、被告らに対し、連帯して、七五四四万八一九八円及びこれに対する不法行為の日である昭和五八年一〇月二〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由がある。

(裁判長裁判官松本信弘 裁判官石原寿記 裁判官宇井竜夫)

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